連休に入る前に打ち合わせや見学取材で那須に行って来ました。東京は通過で。

感染者が少ない地域から少ない地域へ移動。(現時点で那須町の陽性者はゼロだそうです)

 

新幹線はビックリするほどガラガラで東京駅構内のトイレに全く人がいないという事態は初めてです。

それでも心中は穏やかではなく細心の注意を払っての移動でした。

 

那須に様々なご縁を頂いて早4年になりますが、今回りんどう湖ファミリー牧場さんとのご縁を頂きまして、初めて行ってきました。

 

 

那須は水が出ない土地だったので農業用水のために人口の湖を作り、観光誘致で小さいスイスを作ってしまった55年前の人々のバイタリティは凄い。とりあえず今度お天気のいい日に湖畔での〜んびり過ごしたい。いい所です。

那須は本当に自然豊かな土地だと毎度思います。

 

何が始まるのかはもう少し先のお楽しみ^^

 

 

どうぶつ王国にも行けました。

スナネコちゃんはアミーラと命名。

 

 

おてんば姫は遊びたいさかりです。

 

 

 

主を待つオオカミ舎

 

 

オフ日のまともな外出はほぼ4ヶ月ぶりです。

岐阜市歴史博物館の「麒麟がくる」展とロープウェイで金華山に登って岐阜城に行って来ました!

地元なんですが何故かあまり脚を運んで来なかったのですが、今年の大河にハマってしまい、今放映中断中の補完として行ってきました。

いやー楽しかった。

そして良い所でした。

勿論あちこち施設はコロナ対策は万全にだったけど、山登りにマスクはキツかった💦

流石に人が居ない所は外しましたけど。

 

あらためて中部は豊かなんじゃな、と感じたよ。

しかし岐阜は近頃地震が多いのでちょっと心配。

久々の小旅行、自粛期間から緊張した頭が少し切り替え出来ました。

 

 

 

道三の鎧大変にクール

 

 

十兵衛様の鎧 青のグラデーションが美しい!

 

 

記念撮影は行列に並びました^^

 

 

戦国時代座りw

 

 

岐阜城は金華山のてっぺん

ロープーウエイで昇り、徒歩で少し昇ります。

青空が清々しい。

 

天守閣からの眺め

天下布武じゃ!

 

 

下山してみたらしをパクリ

 

帰りはひつまが食べたくて岐阜駅そばのホテル上のレストランで。

密を避けられるところを探しました。

美味かった!!

戦国時代好きにはたまらないテーマパークでした。

 

 

何度目かの誕生日。

この年齢になると毎日毎日の重みが違います。

又一年無事に過ごせますように。。

 

そして世界が無事でありますように。

栃木県の下野新聞で御書印が記事で紹介されました。

 

【「御書印」密かな人気 那須の書店、絵柄は九尾の狐】

という記事。

続きはスマホでないと読めないみたいですが、ぜひ。

 

 

 

東京も自粛解除ですか。

マンションの補修工事がようやく山超えたようでホッ。

普段漫画はこの部屋で描いているので騒音がけたたましくて、ぐっと堪えての作業でしたが流石にコロナ対策と並行でストレスきつかったので、ゼルダの連載は少しお休みもらって助かりました。

でも墨絵作品が沢山残ったからよしとしよう。

普段なるべく愚痴や文句は言わない、我慢、耐えると決めているんだけど我慢の限度超えてましたw。

読者の皆さんには申し訳ないです。

やはり若くはないのだなぁ。

一月の終わりから4ヶ月。

個人的には山籠りの修行期間と思ってました。

日常が完全に戻るにはまだまだ時間かかりそうですが。

この期間、世界中が未曾有の危機に突入、経済はこれからが大変になるみたいだし、自分の周りも平穏ではありませんでした。

が、

あらためて過去を振り返ったり、普段やらないような勉強をしたりで、見えなかった事も沢山見えたし、特に自分のこれからの進むべき10年はとてもクリアになったかな?

 

普段何気にニュースで見ていた政治に関する事で疑問に思いわからなかったことを自分なりに調べ、それに伴い、人、日本、世界の事に目が開く事があり、知恵の大切さをあらためて感じたりしました。この歳になっても世の中は知らない事だらけ。

 

それなりに楽しみを見つけて暮らせたと思います。

 

沢山インプット蓄えたのでこれからアウトプットの時間の始まりです。

 

「ごんぎつね」

新美南吉 著 黒井健 絵

1986年発行 偕成社

初出は1932年(昭和7年)絵本雑誌「赤い鳥」1月号

あれこれ考えてラストは地元作家で。

南吉は愛知県半田市の生まれで、記念館があり生家も残ってます。夕方に見ると哀愁を感じる佇まい。半田の隣の阿久比町にある権現山が作品の舞台だと言われています。

実は地元も地元、ご近所です!

 

子供の時に読んで強烈な印象を受けた童話。

「ごんぎつね」は小学生国語の教科書に載っているので知らない人はいないと思いますが、最初に読んだのは教科書ではなく絵本だったかも知れない。

この絵本はその時からかなり後に発行された絵本で30年くらい前ですが多くの方が目にしていらっしゃるのでは。

 

今大人になってから改めてこの物語に触れてみて、その深さというか生きていく者達のやるせなさに触れた。

絵本や童話は寓意性が高くてやはり好き。

簡単で短い文章や話しの中に人生のエッセンスがぎゅっと詰まった沼のような深淵さがあり自分の目指す世界がある。

子供から大人まで読め、人生の経験度で感じ方が変わってゆく。年相応の受け取り方が出来る物語。(南吉はこれを18歳の時に書いたというのだから…)

優しさの中に生きる者達の悲哀を感じる絵本や民話をあらためて読み返してみたい。

今回これを書くために少しばかりググってみたが、南吉の草稿と「赤い鳥」に載ったものは違いがあると初めて知りました。

「赤い鳥」発行者の児童文学者 鈴木三重吉によって30箇所くらい手直しされているそうです。一番重要なのはラストシーン。あの有名な、(↓意訳です)

「ごん、おまえだったのか。いつも栗をくれたのは」猟銃をぼとりと落とし愕然とする兵十。ごんは目をつぶったままうなずいた。火縄銃の銃口から青い煙が出ていた。

これの「ごんは目をつぶったままうなずいた」は、南吉の原作には

「ごんは目をつぶったままうなずき、うれしかった」

と書いてあるのだそうです。えええ!!

この一言だけで読後の印象がかなり違う。ごんと兵十は気持ちが通じあったのか、すれ違ったのか。自分は「動物と人間はやっぱり通じ合えない、同じ世界に住めないって事なのかな…」と子供の頃悲しく思った記憶があります。今思うと、ごんの行いを比喩するならば、子供のまだ経験を伴わない悪意のないいたずらと純粋なる善意が、こういった結果を生んでしまうという…

「ごんぎつね」はやるせない物語だけど最後に「ごんはうれしかった」とあるとないでは読後に流す涙の意味が90度くらい違う。

国語の教科書では子どもにごんの気持ちを考えさせるために「うれしかった」の一文を取ってあるとの記述も見ましたが、赤い鳥版で既に無いので、これは適当な推測な気がする…。鈴木三重吉さんの判断で削除されたものでしょう。

南吉はこれをどう思ったのか?

手元に届いた「赤い鳥」を開いて「僕が書いたのと違う…」とモヤモヤしたのではなかろうか。漫画家としてはちょっと気になると言うか看過できない件;;;(「赤い鳥」掲載は物語が書かれた翌年の南吉19歳の時)著作権など重要視されてない時代、18歳の若輩が書いたもの、鈴木三重吉はかなり「偉い人」だったはずなので、おそらく南吉の許可など取らず添削するつもりで勝手に直して掲載したに違いないと思うのですが。南吉は、雲の上にいるみたいに偉い人のやった事だから仕方がない、これがきっと正しいんだと納得したのでしょう。

貴方の物語は90年経っても生き残り、日本中で知らない人はいない位愛されていますよ。鈴木三重吉さんはもう知ってる人殆どいませんが。でもみんなが知ってるのは鈴木さんが書き直した方なんだよ…と、南吉に教えてあげたい気分。

(蛇足ですが、昔は「偉い人」って庶民に対してかなりの横暴を平気で働いてました。それに庶民が怒り、立ち上がって戦い、今の日本の「平等意識」がある。しかし怒りばかりが澱のように残ってしまい、権力側が間違っていようがいなかろうが「権力にはとりあえず反発」する、令和の時代通年からは的を外れた「庶民側の横暴」が幅を利かせている昨今のように思います。個人的な感想)

南吉は猗甍キ瓩砲弔い15歳の時にノートにこう書いたとの事です。

「やはり、ストーリィには、悲哀がなくてはならない。悲哀は、愛にかわる。けれどその愛は、芸術に関係あるかどうか。よし関係はなくてもよい。俺は、悲哀、即ち愛を含めるストーリィをかこう」

15歳にしてこれ。

「ごんぎつね」の悲哀感が愛の意図を含んでいるのは間違いなかろうと思います。南吉が子どもに伝えたかった美しき悲哀をかみしめつつ改めてこの物語のラストシーンを思い巡らせてみたい。

 

 

 

 

記念館は車ですぐの地元にあるのです。

3月に那須のお客様がやって来てコロナ自粛に入り、今日同じ那須のお客様がやって来て自粛開けを実感しました。

 

 

 

そろそろアシさんも通常に戻していこうかと考えています。

自粛解除になりほぼ一週間、まだまだ気をつけますが、止まっていた時間が再び動き出し、日常時間が徐々に戻ってきた感じです。

動物が繋ぐご縁。

 

 

 

2ヶ月ぶりの外ご飯はとても美味しかったです。

でもお客が私達だけでした。お店大丈夫でしょうか、、潰れないでね😢

(写真撮影の時のみマスクをはずしています。)

ずっと以前から馬にまつわる旅、馬の文化をずっと追いかけてます。私たちのもう一つの顔。支援させて頂きました。

 

チャグチャグ馬コ共同馬主プロジェクト2020 岩手の馬事文化と馬ッコを守りたい!

今日は特別不思議な夕景の空海が撮れました。

 

 

 

 

実は周りは快晴で雲があるのは写っているこの部分だけです。

強風で気流がランダム、雲が面白いです。でも何か凄みがあります。

そういえば今日は満月でフラワームーンと言うそうですね。

そして、

ヒマラヤシャンバラの世界ではウエサク祭という特別な日です。🌕🌕🌕👏

 

最近明らかに海の風と空気が澄んでいてとても綺麗なんです。

人はほとんど居なくなりましたが普段はないおじさんの散歩をちょくちょく見かけます。うちはこの海沿いなので1日一回必ず海辺にウォーキングに行きます。

今日の素敵ショットは、、

「おじさんとわんちゃん」と「カップル」

 

 

最近ここに来るととても平和で静かな空気が流れているのに超切ない気持ちになります。

今起きてる状況に反して自然が美しすぎるのですね。

にわか哲学者になれそうな気分になりました。


近所の高齢者向けリハビリセンターでおそらくクラスターが発生してしまいました。

 

県や市のサイトを見てると陽性となった人の家族内で感染がじわじわ広がっていて、多分その方達の生活圏のスーパーに自分も日々買い物に行ってますので最大限に注意しています。

 

田舎なので高齢者が多く車も四つ葉マーク率が高いエリアです。

お医者さんの所は今大変だと思います。

明日は我が身。

とりあえず玄関に除菌エリアを設け、買ってきたものはその場でアルコール除菌。汚染してないカゴに入れて台所に持って行っています。消毒用アルコールが薬局に売っていないので、足元見られてるなぁと思いつつ、高めの除菌スプレーをネット通販で購入。

買い物は回数減らして1週間分を隣街に買いに行くことも考えてます。

買い物も命がけですね。

 

こんな緊張感の中、昨日の「姫川さんの新作漫画」ではなく、その前から依頼された単発の仕事がややひっ迫していてこちらの緊張感とあいまって実は胃が痛いです。😭

おうちに居られるだけ全然安全地帯なのですが。

 

ステイホーム生活も2ヶ月半近く。

 

TVメディアはようやくNYと日本の関連付けの特集を頻繁に組むようになりました。

アメリカのこの先のシナリオが怖すぎる気がします。日本はきっと大丈夫、と信じてる。

この2ヶ月半はまるで修行場に入った修行僧のような気持ちで自分のペースを守るべく日々ルーティンを回して来ましたが、一時的に人の物凄い竜巻のような感情に当てられてかなり疲弊しながらも、又軌道修正飛行に戻りました。

 

まだまだ、不動の心、安心立命には程遠いわ😆

 

その間約1週間、それこそ脳内はフル稼働して、一気に自分の立ち位置やこれからどのように生きて行くか、深く深く考えました。これからの生き方が頭の中で沢山のイメージが回ってかなり過激な答えも出かかって一つの答えを出そうと思った時、

とあるベテラン編集さんが、いきなり新作描きましょう、とメールを送って来ました。

これが良いタイミングで一気に憑き物が落ちて自身がニュートラルに戻りました。

コロナで世界のニュースが一杯になっててもその編集さんは微動だにせず大好きな漫画家とその漫画家が生み出す漫画の世界愛で一杯なのだな、と思った事と

「そろそろ姫川さんの新作の準備をしましょうか」との言葉に漫画家として当たり前の言葉なのに実はデビュー以来その言葉をまともに貰えていないという事に気がつきました。

引退を考えていた、その漫画に対する情熱が再び少し戻ってきた気がします。単純。笑

長年「〇〇を描いてほしい」と言われる仕事世界に身を置いて喜んでくれる人がいるのなら!とただただそれに答えるべく孤独に耐えて描いてきました。

あ、いいんだ、自分の作品描いて!

待っててくれる編集者がいるんだ!

そう思うだけで

めっちゃ安心感をもらったのでした。

この編集さんは自分達より年上で沢山のベテラン作家さんと仕事されてきた方で、しばらく連絡取らなかったんですが、気にかけて作品を待っててくれる編集さんがいてはじめてこんなにもハードで大変な作業を不安なく作品に取り組めるんですよね。

ただ描ける体力は残っているか不安ですが。

未来は不確定だけど何かが見えてきた気がします。

時代は確実にここで変わります。

無くして分かる当たり前だった事。

与えられて当然と思って驕り、

人は沢山のものを搾取し犠牲にして踏みつけて来たと思うんです。

目の前にあった大事な事や人にあらためて気がついていき、外に外に拡大して来た無いものねだりの無用の領土はもう必要無い事だったと気がついて行く。

それぞれが謙虚にシンプルに自身と向き合う時間を今与えてもらっているんじゃ無いかなとふと思いました。

宗教家じゃないよ別に。笑😅

 

 

写真は気持ち良さげなオシッコ中のカムw

 

 

本日又も那須から新しいお客様が仕事場にやって来てくれました!

時節柄車で🚗

長い距離お疲れ様でした😊

那須ハイランドパークの矢澤さん。

ウーピー、ナッピーは実は鷹なんだって。

 

 

 

那須のご縁はまだまだ続く。やはり住処を作るべきなんでしょうか😅

最初はあったかくなれば収まるよ、と普段のインフルの感覚で楽観視する専門家もいましたが、自分の中では最初からアラームが鳴りっぱなし。

長年海外からゲストとして呼んでくれ沢山の楽しみを与えてくれた国が次々にあっという間に酷い事になって、とても対岸の火事には思えなく。

小松左京SF世代だから疑似体験は沢山してたし、ハリウッド終末映画も沢山観たし自身も人類滅亡漫画は描いた。
でもリアルはさりげにいきなり目に見える形で現れる。

 

そんな中でアメリカの出版社さんからゼルダの豪華本の発売案件でメールをもらった。
いつもになく真剣な雰囲気。
「こういう時だからこそ頑張って作りたい」という連絡をもらい胸熱になった。
勇者といわれる主人公を20年以上描いていますが、彼の艱難辛苦の旅路、逆境に喘ぎ成長して来たプロセスをこの大変な時にこそ多くの人の手元に届けたいと、漫画家にとってこんな有り難い言葉はないよ。

こんな時だから規制の中でも豊かに明るく暮らしたいと今日はこんな撮影してたけど、あちらはこういう時だから逆境に強くなれるのですね。

 


 

熱田神宮に恒例の初詣。
三が日にはご挨拶に行かないと事が始まらない。夕方近くに行ったのになかなかの混み具合でした。

 


破魔矢を買ってのち、おみくじ。中吉と半吉って、どっちがイイのかな⁇

境内の屋台で広島焼きを買って持ち帰って食べたのですがこれが激ウマ。広島焼きと言いつつ名古屋の味wお正月の風物詩、風情があります。

新しかし年早々風邪をひいてしまい…🤧早く治さねば…。やりたい事いっぱいあるので!
ともかく熱田さんに行けてこれで始動です。

 

 

元日のかきぞめ
オオカミくん

はるか遠くに響けよ遠吠え

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

THE YELLOW MONKEY 30th ANNIVERSARYドームツアーでナゴヤドームに行ってきました。
一年のシメのライブとして毎年12月28日にある吉井和哉さんソロライブに2005年から行っています。
三年前にイエモンとして再活動をしてますが、この28日は30年前の1989年にイエモンが名古屋結成、という事で今回名古屋スタートとなったみたいです。
このツアーが終わったら再びお休み充電期間になるというので又吉井さんのソロが始まるのかな?
個人的にはソロは大歓迎なのです。

なんで吉井さんを15年もライブに行っているんだろな。ただ単にカッコいいからじゃないんです。
毎年テーマが変わるし深いからかな?弱さも魅力的。
つまり飽きないんですよ。

イエローモンキーのライブは1、2回、アルバムも3枚かな持ってますがそんなに大ファンではなかったんです。
解散して吉井さんがソロアルバムを出した時に気になり購入、その次のシングルCALL MEで戦車に乗って坊主になって歌うPVを見た時に、相当憔悴しているにも関わらず歌わずにはいられないという渇望感に非常に惹かれた訳です。

この頃、私達は版権ものから脱出しようとオリジナル作品を新しく作っていて、それまでの数年と全く違う事を始めた時期で、味方も応援してくれる人も殆どいなかったんですね。その頃はYOSHII LOVINSONという照れ隠しネームでしたが彼のその頃の世界観が、その時必死に作っていた作品の世界やキャラクターの生き方に被るところがあって、なんとなく「こういうものを描いてもいいんだよ〜」と励まされているような気がして、勝手に伴走してくれる心の友のようにアルバムを流してはキャラを描いていた思い出。それで毎年ツアーライブに行くのが楽しみになっていったのでした。
年末は決まって12/28武道館。イエモンの記念日なのは知ってましたが、私達にとっては「吉井武道館の日」だったのでした。

イエローモンキーはある種エンターテイメントのようなデカい仕事だしファンもめっちゃ多い。ソロになると非常に個人的な思想や哲学的なものが色濃く出ています。
人によっては「好きじゃない味」だったりするかもしれませんが、癖になるとなくてはならないパクチー…はちょっと例えがどうなんだwとは思いますが、そんな吸引力の強いマイナーさがあるのです。我々もオリジナルはいつもどこかマイナーで、でも好きな人にはたまらない吸引力があるものを、狙っている訳じゃ全然ないんだけど自然にそうなってしまうので、共感するところがあって聴き続けてるのかなーと思います。
その時の状況によって毎年本人もアルバムもコロコロと変わるので、それも飽きない要因の1つかな?

イエモンが復活した時は、これでソロとはお別れなのか…と寂しい気がしましたが、なんだかんだ言ってやっぱり吉井さんは癒しなので(笑)今はイエモンも楽しんでおります〜

 

 

 

毎年見かける水木しげる先生のこのお言葉。
前は都合の良い所ばかりしか目に入りませんでしたが
近頃は全文しみじみと染み入っています。

戦争を体験した方の言葉は深いです。

 

水木しげる先生の晩年の名言「幸福の七か条」が非常に刺さる内容だと反響を呼ぶ!

中村哲さんが銃撃された。

哀しむアフガンの人々沢山沢山いると思うけど悔しく残念でならない…
心からご冥福をお祈りします。マスードの死と同じくらいこの国にとって惜しい人を亡くしたと思う。 

 

http://www.magazine9.jp/interv/tetsu/tetsu.php?fbclid=IwAR2nmeQrHq-Zb0ytJywBA5BVYyzfB8WS1TSS0aXkgO04apJNmwMk9mAFdMI

 

https://togetter.com/li/1439513?fbclid=IwAR3vIs1nRjNuOuUsjEd9uYSNU3Uf9XO5N0EeCYj_UOQqnT-9cgrWFafNX6A

 

中村先生の御本読ませて頂き2002年に学年誌小学五年生80周年記念連載企画「ぼくらの翼」の中で少しですが描かせて頂きました。

 

 

 

 

「ぼくらの翼」は当時の小学生に、世界にはこんな同じ年の子達もいるんだよ、と知ってもらうための学年誌の企画でした。

当時は湾岸戦争とNY貿易センタービルがテロによって破壊されてしまった歴史の残る大惨事があった直後で、学年誌という学習誌の子供達に対する使命感もあり、世界のストリートチルドレンにスポットを当てて漫画化するという企画が立ち上がった訳です。

 

この時 帯の写真を提供してくださったカメラマンの片野田さんは元気でしょうか…。

9.11の衝撃もあって中東情勢や難民、NGOの活動にスポットが当たっていて大きな波を起こしていました。そんな世界情勢を子供の目線で小学生にも分かりやすく読んでもらうという作業はなかなか大変でしたが、連載の時に取材など協力頂いたのは日本で立ち上がったNGO「国境なき子ども達」で今もほんの少しですが毎月協力させて貰っています。

 

 

 

 

 

 

 

2002年中村先生はペシャワール会で得た寄付金を元にアフガンで命の根源の水の確保の為の活動を始めました。
木を植える男、という絵本がありますが、これは誰か認められる為に木を植える訳ではないんです。長い長いスパンで最終的な豊かさを得る為に今続ける事をやる訳です。
中村先生のやっていた事はシンプルで究極的な救いなんだと思います。
それをやる為には、今の喧騒を離れてそれだけに集中しなければならない。

 

あれから18年。
先生はあの時から天命としてずっとずっと変わらぬ活動を続けていたのだと今回の事件で分かりあらためて尊敬の念で一杯になりました。同時に自分が過ごして来たこの18年間を振り返って想いを馳せてしまいました。