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ヒウリ本誌Kindle化(その3)

前記事の続き

 

なぜ、ヒウリを描いたのか?

描いてしまったのか(大袈裟…w)ですが、

理由として1980年代当時の漫画界への一種のアンチテーゼのようなものがありました。

 

我々は昭和30年代後半の生まれなので手塚治虫先生はじめ今の漫画の始祖を作られた巨匠の先生がたの作品群を、ヨチヨチ歩きの頃から楽しんでまいりました。

 

幼少の頃は親から「漫画ばかり読まず勉強せよ」とみんなが言われたもので、「子供のおやつ」「単なる遊び」「勉強の邪魔」「内容がくだらない」「ウソばっかり描かれてるリアリテイのないもの」と社会的に低く見られていた時代です。(こう羅列すると今では信じられないですね!!でもそうだったんですよ!!)

 

でも漫画が大好きで、超超ワクワクしてどっぷり漫画づけの幼少〜思春期を過ごし、漫画を糾弾する大人や先生が敵で、隠れて読み、大人になったら絶対漫画家になるぞ〜!と心の中で叫んでいた、そんな子供が多かった時代でした。

 

そんな「隠れたるもの」のエネルギーが後にアニメブームの爆発やコミックマーケット創立につながっていきました。

(先ほど「大人や先生が敵」と書きましたが、そんな中で「火の鳥」を教えてくれた塾の先生や、数少ない漫画が好きな大人に懐いてた記憶がありますw。図書室に「カムイ伝」が置かれたのは中学校の時で、とても誇らしかったです)

 

そして漫画家を目指して投稿したりデビューしてみたりコミケに出たりしていたわけですが、

年月が経ち漫画の地位も向上し、

我々がいざ商業誌を目指す頃には漫画は「ハイレベル」時代で、少女漫画も少年漫画も、画力も構成力もかなり高い時代だったと思います。「ちょっと」描けるくらいではとてもプロになれなかった頃です。

それは漫画家たちの創作意欲も勿論ながら、社会への反骨精神や、漫画でもこんなことが出来るんだ、という気骨が生んだものでもありました。一般読者の目もかなり肥えていて厳しかったしハイレベルを歓迎していて、「オタク」が現れる少し前の「マニア」の時代でした。

 

どんどん「すごく」なっていく漫画を読者として楽しみつつも、若かった頃の気持ちとして段々とある種の「息苦しさ」のようなものを感じるようになりました。子供の頃にあんなにワクワクしながら読んでいたのに、面白いし、すごいんだけど、なんか、ちょっと、疲れてきてるような…

 

【ヒウリ時代の話なので、ここから姫川Hは狩鷹明(もしくは 明)、姫川Nは小野ぬい(もしくは ぬい)と表記します】

 

小野ぬいはヒウリの少し前に個人で商業誌デビューしていましたが、時代の空気にならって結構描き込んだ絵をしてました。ムリヤリではなく好きなように描いてたら自然とそうなったのですが、描きたいものをただ叩きつけるだけではなく「ここまで描けないと漫画家になれないのかなぁ…」というような事を考えていた記憶があります。

 

連載を一つ終えて短編を描く時に、狩鷹明に愛知から東京に手伝いに来てもらい、その修羅場中に「合作やりたいね!」という話になり、その原稿が終わって明が東京にいるうちにファストフード店で打ち合わせして内容をだいたい決めてしまいました。

 

〈ヒウリ予告本より〉

 

その頃の明は白土三平先生に激ハマリしておりまして、

その中でも小山春夫さん(当時の赤目プロのお一人)の描線にホレ込んで名古屋の古本屋を巡って白土三平作品は忍者武芸帳の貸本から大量に買い込んで、

「昔の絵なのに古くないんだ、今見ても新しいんだよ!」と温故知新。白土(小山)流のカラーイラストを〈きつね狩り〉で何枚も描いてました。

 

少年マガジン別冊 狩鷹が名古屋の古本屋で購入。

「ワタリ」は赤目プロでの小山さん作画の代表作のひとつ。

 

貸本は厳重に保管してしまったのですぐに取り出せないのですが、

雑誌「少年」の付録まで集めていました。

裏は当時流行の切手。

 

ガロは「カムイ伝」が掲載されている全号。

 

明が当時白土マニアじゃなかったら、ヒウリは忍者ものじゃなかったでしょう。

 

ぬいも幼い頃から「サスケ」のアニメに始まり白土忍者漫画は大大好きでしたので、

ぬいが小学校時代に発売になったKCコミックスの「サスケ」

昭和49年

 

合作は忍者ものにしよう、とすんなり決定。

〈ヒウリ予告本より〉

 

 

昨今のリアル志向で漫画界から消えてしまった親指一つのハムみたいなデフォルメの丸い足を一回漫画で描いてみたい、と実は最初はそんな動機で始まりました。

 

〈ヒウリvol.1より〉

 

描線はできるだけシンプルに、昭和の少年マンガによくあって消えてしまった表現を復活させよう。

設定は凝らなくていい。

ただワクワク読んでいたあの頃のマンガみたいな、

一度はやってみたかった「あんなキャラ」「こんな展開」

今じゃ恥ずかしくてやれないような事を

今でいうと「自分なりの萌え」ですが、そんなことが詰まってる少年忍者漫画にしよう。

 

かような感じで、創作オリジナルとは言っても、ある種の企画色が強い漫画でした。二人とも、元の「自分の絵」は封印して「ヒウリ」という企画を楽しんでいたわけです。

 

 

最初の話し合いで「現代のサッカー少年がタイムスリップして忍者になる」という案も出ましたが、やめました。

 

【「現代」がどっかでつながってないと読者がついてこない】

 

というのは当時の商業漫画のノルマみたいなもので、編集さんからも本当によく言われました。だからSFもファンタジーも時代物も全部、新人漫画家には描かせたくない。ファンタジーは「逃げ」だから、学園ものやスポーツものなどで「実力」と「人気」がついてからだったら描いてもいいよ。そんな風に言われてました。なので、SFファンタジーが描きたくても、我慢して学園漫画やファミリーもの漫画やスポーツ漫画描いて(描かされて)、長〜いこと描いてたらSFに向く画風じゃなくなってしまった…なんて話も聞こえてきました。(もちろん好きで学園もの描いてた方も大勢いたと思います)

 

今回はそういうのは全部なし。

商業誌じゃないんだから好きなように描こう。

 

現代ノルマなんか入れたら「ヒウリ」は本当につまらない漫画になっていたでしょう。考えただけでもつまらなくてゾッとします。本当にやらなくて良かった。

 

当時の思い出を書いていてもう一つ思い出すのが「漫画でアニメっぽい絵は描くな(新人に向けて)」という風潮。アニメを思い出すような絵を描いてると叱られるし、色々と猊塒瓩任靴拭アニメ大好きでしたから「アニメっぽい絵描いて何が悪いの??」と思ってました。90年代になったらそんな風潮は消えてなくなりましたが、当時は若かったし、反発心が結構ありました。

 

「〜でなければならない」ノルマが多い年代だったなーと改めて思います。

 

そんな当時のもろもろの閉塞感が「ヒウリ」の生まれた理由の下敷きとしてあるのですが、この記事の一連はぬい(姫川N)の目線で書かれていますのでまだ半分である事をご了承下さい。明(姫川H)目線の物語もあるとこれまた面白くなると思います。

 

ぬいは商業誌漫画のフラストレーションが爆発しちゃった感じで、ヒウリが楽しすぎまして…

明がちょっと引くくらい夢中になってのめり込んでました;

 

下敷きだけで長くなってしまったので一旦切って…

長くてすみません!!

ヒウリの事を分かっていただこうと思うと、その経緯をご説明しないと意味不明になるので…お時間がある時にお付き合い下されれば幸いです。

 

次回へつづく!

 

 

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2018年01月20日(土) 16:55 by Akira Himekawa [ Edit ]